— 山手居留地の「ブラフ積み」に刻まれた横浜の歴史 —

①港の見える丘公園とその周辺
横浜市中区山手町にある「港の見える丘公園」は、バラの名所としても知られ、横浜を代表する観光地のひとつです。かつてこの場所は「山手外国人居留地」として整備され、幕末から明治期にかけてイギリス・フランス両軍が駐屯した歴史があります。
特にイギリス軍は現在の公園周辺に駐屯し、のちには「イギリス海軍病院」や「イギリス総領事公邸(現・イギリス館)」が設置されました。

② イギリス館とブラフ積みの風景
港の見える丘公園内には、**1937年に建てられた「イギリス総領事公邸」(現・横浜市イギリス館)**が今もその姿をとどめています。鉄筋コンクリート造りのこのクラシックな洋館は、当時の英国外交官の暮らしを色濃く映し出す邸宅建築として知られています。応接室や食堂、サンルームなど、随所にイギリスらしい意匠が施され、横浜に残された数少ない本格的な外交官公邸建築のひとつとして、現在は一般公開されています。
歴史とデザインが調和した空間は、訪れる人を昭和初期の横浜へと誘います。


また、公園内や周辺の坂道沿いには、「ブラフ積み」と呼ばれる明治期の石積み技法が今も点在しています。これは、房州石を使いフランス式の工法で築かれた独特の石垣で、関東大震災や戦災を乗り越えて現存する貴重な遺構です。堅牢で美しい石積みのラインは、往時の街並みや生活の痕跡を今に伝えており、山手外国人居留地時代の雰囲気を肌で感じられるスポットとして注目されています。
🧱 ブラフ積みとブラフ溝
📍 港の見える丘公園近くのブラフ積み

📍 山手公園近くのブラフ積みとブラフ溝

③ 今昔写真で見る横浜の記憶
『菊ちゃんの横浜歴史探偵』では、横浜の歴史をより深く伝えるため、横浜の街並みを「昔」と「今」で比較する『横濱今昔写真』とのコラボレーションを実施しています。
今回は港の見える丘公園一帯に残るイギリス海軍病院跡地に注目。明治後期に撮影された門とブラフ積みの構図が、現在の景観と重なります。
撮影地:横浜市中区山手町99先より北東方向
🧱 石垣や側溝などは、震災や戦災を乗り越え今も現存しています。
明治後期(1900~)

現在

④ 地図で見る「今」と「昔」
大正期(1916年)当時の古地図と、現在のGoogleマップを比較すると、イギリス館や港の見える丘公園の位置関係や範囲がよく分かります。山手エリアの変遷を視覚的に捉えることができます。


🔍 まとめ
港の見える丘公園は、単なる観光地ではなく、横浜の歴史を静かに物語る場所でもあります。イギリス海軍病院跡、イギリス館、ブラフ積み、そして異国情緒あふれる坂道――。そのすべてが、横浜が「開かれた国際都市」へと歩み出した証です。
『菊ちゃんの横浜歴史探偵』では、今後も**街角に残る小さな“記憶”**をたどりながら、横浜の歴史をわかりやすく、楽しく紹介していきます。
🌎 次回予告
次回のテーマは――
「イタリア山庭園に残る外交官の家とイタリア館」
外交官たちが暮らした家には、どんな暮らしの痕跡が残っているのか? 菊ちゃんと一緒に、またひとつ横浜の“時間の旅”へ出かけましょう!

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